2011年2月 7日 (月)

山下洋輔・林英哲〈2月〉

                ― 山下洋輔・林英哲 ―
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 ジャズ・ピアニスト山下洋輔のニューイヤーコンサートに行きました。
今回の共演の相手は和太鼓の林英哲です。
林英哲は和太鼓奏者として1982年に独立して以来、活動の舞台を世界に広げ、ベルリンフィルとの共演を初めとして、ロック、ジャズ、現代音楽、民族音楽などの演奏者と共演をして今や世界的奏者となっています。
初めのうちは和太鼓がどうクラシックやジャズと混じり合うのか危惧していましたが始まってみるとそんな危惧はどこえへやら飛んでいってしまいました。
目の前の大きな和太鼓だけでなく、周りに大太鼓、小太鼓その他大小さまざまな太鼓を置き、弦楽器や管楽器のメロディーに合わせて打ちます。
時には大きく、時には小さく消え入るような音まで自在に打ちわけていきますが、どんなに小さく打った音も思いきり強く打った音もその弦楽器や管楽器のどの音も押しつぶすことなく太鼓の音の中に包み込んでしまいます。
本当に和太鼓とは不思議な楽器です。
それにしてもこの和太鼓の音を西洋音楽の楽器の音とぶつかることなく生かしている、林英哲の西洋音楽の理解力のレベルは大変なものだと感じられました。
アンコールで行われた、パーカッション奏者、竹島悟史との打ち合いは見ているだけでも楽しく、会場には笑いが溢れました。
■林 英哲 広島県出身。11年間のグループ活動後1982年ソリストとして独立。
85年 米カーネギーホールで世界初の太鼓ソリストとしてデビュー。
現代音楽の分野でも前例のない和太鼓ソリストとして国際的に高い評価を得た。
97年芸術選奨文部大臣賞、01年日本芸術振興賞受賞。洗足学園音楽大学・三重大学客員教授。
東京藝術大学において特別授業開講。

2月 7, 2011 1.日々是好日 |

2011年1月 7日 (金)

ディズニーシー〈1月〉

                ― ディズニーシー ―
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 東京ディズニーシーに行ってきました。
東京ディズニーランドは、たった一度だけ子供を連れて行ったことがありますが、それも20年以上も昔のことで、ほとんど忘れてしまいました。
連れは凡そ25年程自主的に集まっている、㈱東芝の系列販売店の二世(二世といっても4、50代のおじさん)のグループで、当日は3人欠けて5人でした。
夕方6時以降は安くなるというので6時に入場しました。
入口を入ったところに池に浮ぶ大きな地球儀が、暮れ行く夕闇の中で明るく光を放ちながらゆっくり回転していました。
園内の建物は照明に照らされて、皆美しく見えましたがなにぶん夜なので全体の情況は掴み難く、昼間だったら楽しいだろうなと思われました。
アトラクションの人気ベスト3は皆乗りました。
1番人気はインディー・ジョーンズ・アドベンチャーだそうです。
最初のうちは、あちこちから怪獣が現れる中をカートがゆっくりと回りながら上っていくので、良くできているなぁと感心しながら見ていたら、突然急勾配の斜面を疾走しだしました。
必死で前の手すりを掴み、思わず下を向いて腹の底から突き上げるような力に耐えたと思った瞬間、突然平衡になりホットしました。
帰り際に見た4人の背広を着たグループ以外は、ほとんどが若い家族か、カップルか友達同士で来ており、我々のような風体の4、50代の男だけのグループは見ることができませんでした。
昼間ではなく、夜で良かったと思いました。

1月 7, 2011 1.日々是好日 |

2010年12月 8日 (水)

隅田川〈12月〉

                   - 隅田川 -
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 秋は食欲の秋、芸術の秋です。上村松園、ゴッホ、フランダースの光、隅田川、ハンブルグ浮世絵コレクションと五つの美術展を見て回りましたが、江戸東京博物館で開催されていた「隅田川」が特色ある企画でした。
隅田川は江戸の水運としても大いに活用されていましたが、それ以上に江戸の人々の生活に深く入り込んでおり、舟遊びの場としても有名でした。
また両国橋界隈や浅草などの庶民の盛り場や三囲(みめぐり)神社のような四季折々に表情を変える風光明媚な景観を数多く抱えた江戸の名所の宝庫でもありました。
そのため、江戸時代を通じて、数えきれないほどの絵に描かれてきました。
展示されている絵は広重や北斎のような名のある人だけでなく、作者不詳の作品も多く、それだけ多くの人に描かれていたことを窺がわせます。
版画だけでなく肉筆画も多く、多数の屏風も出品されていました。
屋形船での川遊び、花火見物、花見、人でごった返す両国橋など、どの絵も当時の風俗を想起させ楽しく見ることができました。
屏風に描かれている絵を見ると、当時は高い家などがなかったため隅田川から、富士山や筑波山などもよく見えていたことが分かります。
展示品は160点と数多く一品一品に解説があるため、読みとばすこともできず、2時間以上もかかり、かなり疲れてしまいました。

12月 8, 2010 1.日々是好日 |

2010年11月 7日 (日)

町全体に江戸時代が息づく今井町〈11月〉

            奈良県橿原(かしはら)市今井町
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 奈良県橿原(かしはら)市の今井町に行ってきました。
今井町は戦国時代に一向宗の門徒が中心になって造った寺内町(じないちょう)です。
町全体が濠で囲まれており、織田信長に対し、本願寺とともに抗戦しようとしましたが、今井町ゆかりの茶人、今井宗久らのとりなしにより、町はそのまま残され、江戸時代になっても堺とともに自治都市として認められ、海の堺、陸の今井と称される程の繁栄をしました。
火に対する厳しい掟があったため、町全体が戦国時代、江戸時代のまま残されています。
東西600m南北310mの町は、まわりをめぐる濠こそなくなったものの約700軒の民家のうち500軒は江戸時代からのものです。
うち重要文化財8棟が指定されていて、一番古い今西家は慶安3年(1650)に建築されています。
ここの特色は江戸時代からの建物もほとんどが現在も人が住んでいて活用されていることです。
「日本で一番残したい町」1位に選ばれたことがあるだけあって、町を歩いていると江戸時代にタイムスリップをしたような感じにとらわれます。
今も時代劇の撮影などにも使われるそうで、角を回った途端チョンマゲを結った武士が出てきても何の不思議もないような街並と裏通りが続いています。
今まで回った中では三重の関宿が、一番町並が保存されていると思っていましたが、この今井町の方が上かもしれません。
わざわざ訪れても価値のある場所だと思いました。

11月 7, 2010 1.日々是好日 |

2010年10月 7日 (木)

アイーダ〈10月〉

 この1ヶ月の間に劇団四季の2つの公演を見ました。
1つは横浜で行われている「キャッツ」で、もうひとつは東京汐留の「アイーダ」です。
2つともほぼ満員でした。
「キャッツ」は、とにかく踊りが素晴らしいの一言です。
狭い舞台をものともせず踊る猫の群れは見事なものです。
1人1人の踊りのレベルも高く、猫になりきってスピード豊かに踊りまくる様に見とれてしまいました。
「アイーダ」は、古代とエジプト、ファラオの時代、エジプトがナイル川を南下しながら原住民であるヌビア人を征服していく途中で起こる、エジプトの将軍とヌビアの女王「アイーダ」との悲恋物語です。
結末は想定外の形で終りますが、舞台はバックの色を様々に変えながら、シルエットも有効に使い、踊りを見栄え良く浮き立たせる巧みなものでした。
踊りもコミカルなものも交えて、楽しく見ることができました。
浅利慶太氏が最大のサービスは「役者の声が最後尾の席にもはっきりと聞こえること」と言われているのを読んだことがありますが、役者の声ははっきりと聞き取れ、発声練習もしっかりとできていることをうかがわせました。
もっとも感心したのは、ステージの最後に、観客との一体感のつくり方が実にうまいことでした。
特にキャッツの場合は客席にまで俳優が出てきて、握手して回るのが自然に行われており、客と一体化していることによる顧客満足の高さがうかがわれました。

10月 7, 2010 1.日々是好日 |

2010年9月 9日 (木)

広重「東海道五十三次」〈9月〉

東海道五十三次    蒲原の宿    大はしあたけの夕立   ゴッホの作品
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 山種美術館は、梶山季之の小説「赤いダイヤ」に登場する松崎のモデルであり株式市場で財を成した山崎種二氏が、作家と直接交流して蒐集した日本画のコレクションです。安宅コレクションの速水御舟作品105点を加え、凡そ1800点の日本画を所蔵しています。
 「東海道五十三次」は広重の代表的作品です。
今迄に、いろいろな所でお目にかかっていますが、五十三次の全てが揃った展示会は見たことがなかったので期待して行きました。
 東海道を舞台にした、十返舎一九の「膝栗毛」が大ヒットした当時は旅に対する関心が高まった時期でした。
広重の五十三次は、人事風俗や名物などをうまく織りこんだ風景画だったので人気を博し、出版後十数年は好調に売れ続けたといいます。
展示された保永堂版は初摺りに近いもので保存状況も良く、色彩も彩やかで、まるで今摺り上がってきたように思えるものもありました。
また絵の中に広重の実家の家紋を入れたり、彫師や摺師の名前を入れたりといろいろな遊び心をとり入れていました。
シリーズの中で傑作といわれる蒲原の宿は深い雪におおわれた絵ですが蒲原は暖かい土地でほとんど雪の降らない所で、広重が想像で描いたものと考えられています。
ゴッホが模写したといわれている名所江戸百景の「大はし あたけの夕立」もゴッホが模写した絵の写真と対比して展示されており、興味深く見ることができました。

9月 9, 2010 1.日々是好日 |

2010年8月 8日 (日)

石見(いわみ)銀山―島根県太田市―〈8月〉

         石見銀山(島根県太田市)              大森町
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 世界遺産の石見銀山に行ってきました。
石見銀山は博多の商人神屋寿禎によって1526年(大永6)に開発されました。
それ以後、戦国大名が争奪戦を繰り広げました。
最終的に徳川家康が関ヶ原の戦い終了後わずか10日で直轄地にしました。
全盛期には世界の銀産出量の3分の1を日本が占め、その大半が石見銀山という、世界規模の大銀山でした。
一年中一般公開されているのは、龍源寺間歩(まぶ)という凡そ500m位の抗道ですが、左右に延びる抗道は狭く一体どうやって鉱石を採掘していたのかと訝られる程です。
規模の大きな大久保間歩(まぶ)は土、日、祝日のみの時間限定の予約制ですので、人数も限られ、折角遠くから来たのにと不満がたまります。
今迄100か所以上の世界遺産を見ていますが、見た限りでは、果たしてこれが世界遺産といえるのかと少々疑問が湧きます。
 銀山の入口の大森町は、銀山一帯を支配するために代官所を置いたところで、役人の宿である郷宿(ごうやど)や、経営者と銀山師の住居や商家が、凡そ1kmにわたって軒を連ねており、それぞれ、土産物屋や食べ物屋になっていて、今も生活の臭いがします。
 大森町は伝統的建物保存地区に指定されておりゆっくりしたかったのですが、先を急ぐ旅であった為、ゆっくり見物することができなかったのが少々心残りでした。

8月 8, 2010 1.日々是好日 |

2010年7月 9日 (金)

三菱一号館美術館での「マネとモダンパリ展」〈7月〉

     三菱一号館美術館・マネ展(東京、有楽町)
201007

 三菱一号館は1894年(明27)国内初のオフィスビルとして建てられ、関東大震災にも耐え、東京大空襲からも奇跡的に逃れました。
1968年(昭43)に取り壊されましたが、当時の図面や資材の一部が建っていたので、昨年、現在地に復
元されました。
150万個のレンガと当時そのままの板張りで、中庭もあり、周囲から隔絶した威風を保っており、一度は
訪れる価値のあるものとなっています。
この開館記念として「マネとモダンパリ展」が開催されています。
マネの作品は国内の美術展で数多く出展されていま
すが、マネの個人展は極めて珍しく、我が家の図録にもないところをみると、この30年ほとんど開催されていないのではないかと思います。
展示会にはマネの作品80点と同時代の作家たちの作品80点が展示されていますが、初めて見るも
のもあります。
「どこにもある題材を光の中で描く」と言うマネの代表作は、それ程出品されていませんが、マネを楽
しむには十分の作品が並んでいます。
マネは「黒」を好み「黒」を生かして使う画家として有名ですが、後にマネの弟
と結婚する画家「ベルト・モリゾ」を描いた4作品のうち「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」は黒尽くめの衣装をまとい、逆光の中で左側からの光を受けて輝くように愛くるしく描かれており、彼女に対する彼の思いが伝わってくるようで、この絵を見るだけでも行く価値は十分にあると言えると思います。
7月25日まで三菱一号館美術館(有楽町国際
フォーラム前)

7月 9, 2010 1.日々是好日 |

2010年6月 8日 (火)

藤本能道と菊池寛美記念智美術館〈6月〉

人間国宝・藤本能道(ふじもとよしみち・1919-1992)
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 入り口から会場までの廊下に掛けてある、白い地に描かれたカワセミの陶器を見ただけで、今日は良いものに廻り合えそうだという予感がしました。
会場には数多くの筥や壷が展示してありますが、その全ては白地に多彩な色で描かれた鳥や虫が遊んでいます。
ある鳥は今まさに飛び立とうとしており、ある鳥は軽やかに空を舞い、またある鳥は枝で静かに羽を休めているといった風です。
これ程までに鳥や虫を色彩豊かに、生き生きと描いてある陶器は今までに見たことがありません。
1976年初夏、昭和天皇、皇后両陛下が日立多賀の菊池家に行幸された折、ただ一度の晩餐のために藤本氏が造った230ピースにのぼる揃いの食器は「幻の食器」と呼ばれていますが、それが一室に展示されており、「私の生涯において最も印象に残っている作品」と藤本氏が言われるように素晴らしいものでした。
死に近づいてからの作品の多くは、炎の回りを蛾が乱舞する様を描いたものが多く、命の残照の中で最後の力をふり絞って舞っている様に見えました。
「焔に舞う陶額」は、何匹もの蛾がメラメラと燃え上がる火焔に吸いよせられるように舞いながら落ちていく構図で、速水御舟の傑作「乱舞」を想起させ、いつまでも見飽きないものでした。
藤本能道は、平山郁夫の前の芸大学長で人間国宝です。
菊池寛美は、戦後の炭鉱、株による三大成金王といわれる人で、美術館はホテルオークラ別館のすぐ近くにあります。

6月 8, 2010 1.日々是好日 |

2010年5月 8日 (土)

犬山城〈5月〉

      犬山城(別名・白帝城)愛知県犬山市
別名・白帝城は、木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを、中国の長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」(早に白帝城を発す)にちなんで荻生徂徠が命名。
201005
 日本には多くの城がありますが、戦後復元されたものがほとんどで江戸時代のものが残っているのはごくわずかです。
その中でも国宝に指定されているのは、彦根城、姫路城、松本城、犬山城の四つしかありません。
彦根城と姫路城は以前に行ったことがあり、今回は犬山城に行ってきました。
犬山城は名古屋から名鉄で30分の犬山の駅近くにあります。
城の前には本町通りという城下町通りがあり、昔風の建物があちこちに残り、新しく建てられた建物も昔風に建てられ、古い街並を演出しています。
犬山城は彦根城よりも小さな城ですが、正面からみるとやはりそれなりに威風堂々としています。
正面から靴を脱いで入ると直ぐに狭い階段があります。
手すりはありますが、落ちないように気を付けて登らなければならないような急な階段で、食事を運ぶ人や奥女中などは、さぞ苦労しただろうと当時のことが思い遣られます。
内部は簡素で殿様の居た間などもそれ程広くもなく質素なものでした。
寒々として冬などはどうして暖をとっていたのでしょうか。
最上階まで上がって周囲を見ると城は木曽川を背にした山の上に建っており、防禦(ぼうぎょ)に勝れた城だということがわかります。
城内は明かりもなく、外からの光だけのため薄暗く、展示物の説明文を読むにも一苦労する程でした。
犬山城の東にある庭園・有楽苑(うらくえん)、国宝茶室如庵、重要文化財旧正伝院書院にも行ってみたいと思います。

5月 8, 2010 1.日々是好日 |

2010年4月 7日 (水)

ルノワール〈4月〉

ピエール=オーギュスト・ルノワール (1841- 1919)   
印象派の巨匠。
フランス中西部の磁器産業で栄えたリモージュに仕立て職人の子として生まれました。
パリで陶器の絵付け見習いなどを経て、20歳には画家グレールのアトリエで学んでいます。
ルノワールはそこでバジールや、後の印象派の画家たち、モネ、シスレーらと出会いました。


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 ― ブージヴァルの踊り ―       ― アンリオ夫人 ―

 久し振りにルノワールの個展が開かれています。
今回の展示会にはボストン美術館やワシントンナショナルギャラリーをはじめ、世界中の美術館から集めてきた80点程の作品が展示してあります。
日本国内各地から集められた作品も多く、日本におけるルノワールの人気の高さが穿えます。
 初期の作品には風景画もありますが、風景画よりも人物画に、ルノワールの絵の冴えが見られるように思います。
人物画になると、突然生き生きとしだすのが不思議です。
「幸せとは何かを教えてくれる画家」といわれたように、どの絵も明るく輝いており、見ているだけで楽しくなります。
 風景画以外は今までに見た作品が多く、新しいものは、当時の社交界服装で描かれた「アンリオ夫人」などでそう多くはありませんが、良いものは何度見ても良いので、ルノワールを好きな人なら十分楽しめます。
 一番大きな絵は「ブージヴァルの踊り」で、ダンスをしながら相手の男性に口説かれている様に見える、後にユトリロの母となるモデルの女性の、はにかんだようなうれしいような顔が印象的です。
 有名になる前、ルーブル美術館で模写を許されて描いたというルーベンスの絵は見事で、ルノワールの裸婦の原型は、ルーベンスの裸婦にあるのかと想像されます。
            4月5日まで 乃木坂の新国立美術館にて

4月 7, 2010 1.日々是好日 |

2010年3月 7日 (日)

ブーニン&山下洋輔〈3月〉

1_2[スタニスラフ・ブーニン]
1966年モスクワ生・83年17才でロン=ティボー国際コンクール優勝
85年に19才で第11回ショパン国際コンクール優勝・併せてコンチェルト賞とポロネーズ賞を獲得・「ブーニン現象」を巻き起こす
[山下 洋輔]
1942年東京生・国立音大作曲科卒・麻布高校3年にプロデビュー
和太鼓やオーケストラとも共演・映画「カンゾウ先生」作曲
芸術選奨文部大臣賞(大衆芸能部門)・紫綬褒章・毎日映画コンクール音楽賞
日本アカデミー賞優秀音楽賞・国立音楽大学招聘教授・名古屋芸術大学客員教授・エッセイスト
タモリを発掘・兄はヒゲタ醤油㈱元代表取締役

 何という柔らかで豊かな音色を弾き出すのでしょうか。
ブーニンのピアノは、柔らかく、つつみ込まれるような音色で心の中に流れこんで来ます。こんな豊かなピアノの音を聴いたのは初めてです。
柔らかい音だけてなく、強く弾いた音にもまろやかな味が込められています。
次から次へと流れ込んで来るピアノの響きにすっかり心を捉えられてしまいました。
対する山下洋輔はジャズピアノ特有の早いテンポと高い乾燥した音を自在に操り、自分の世界に聴衆を引き込みます。
67才という年齢を全く感じさせない、軽快さと力強さでグングン引っ張ります。
第三部は2人のコラボです。ブーニンのクラシックに山下のジャズピアノが割り込むのです。
初めはどうなることかと思っていましたが、クラシックに割り込むジャズピアノの音に全く違和感がないのです。
クラシックの調べの中にしっかりと入り込み、一つの曲の様に感じられるのが不思議です。
山下はブーニンの曲を聴きながら、楽し気に割り込みます。
ある時は激しく弾き合い、ある時は静かに耳を傾けます。
ブーニンも、山下の曲、バッハやドビッシイーの曲を自在に操り、割り込むピアノと合体しています。
2人のコラボは完全に聴衆を魅了していました。
万雷の拍手が鳴り止みませんでした。
ブーニンと山下は、互いの演奏会に行きあい食事をする23年来の友人で、初めてのコラボ企画だということでした。ブーニンの茶目っ気のあるトークも愉快でした。
          (東京オペラシティニューイヤー・ジャズ・コンサート2010)
   

3月 7, 2010 1.日々是好日 |

2010年2月 7日 (日)

「関の山」の関宿(せきじゅく)―三重県亀山市―〈2月〉

         関宿・せきじゅく(三重県亀山市)
2010021
    -山車-    -山車倉と山車-     -鈴鹿山と旧東海道-
2010022
    -東海道五十三次・関  歌川広重-

 いゃー、こんな街が今でも昔のままの佇まいでほとんど手つかずで残っているなんて、まさに奇跡だと思います。
今まで全国の「伝統的な建物群保存地区」を15箇所程訪れてきましたが、建物が、40~50戸も残っていれば良い方でした。
ところがこの関宿は東西約1.8kmの左右に200戸、昔の宿場町の風情をそのままに今も息づいているのですから驚きです。
関宿は古代から交通の要衝であり、古代三関(伊勢の鈴鹿・美濃の不破・越前の愛発あらち)のひとつ「鈴鹿関すずかのせき」が置かれていた所で、関の名もこの「鈴鹿関」に由来しています。江戸時代には東海道53次の江戸から数えて47番目の宿場町として、参勤交代の大名や公家、公用の幕臣が利用した二軒の本陣が中心部に配されています。
鶴屋、玉屋、会津屋等の有名旅籠(はたご)はそのまま残っており、今も食事処として使われています。
二階建てが一般的ですが二階全面を土壁で覆った塗籠(ぬりごめ)のものもあります。
 関の祭りには「山車(だし)」が出ます。
最盛期には16基ありましたが今は4基しかありません。
この山車はほぼ三階建ての高さで、屋根を見下ろす高さです。
街道筋は小型山車がやっとすれ違いができる程の幅しかなく、両側の家の軒先をかすめて練り歩くことになります。
どんなに資金があっても、道幅以上に大きな「山車」をつくることはできません。
そうしたことから関の山車はどんなに頑張ってもせいぜい道幅が精一杯の限度だ、頑張っても「関の山」だという言葉ができたそうです。
(名古屋から車で1時間)

2月 7, 2010 1.日々是好日 |

2010年1月 8日 (金)

日高川、鷺姫〈1月〉

 シネマ歌舞伎を見てきました。
日高川は安珍、清姫の物語に出てくる川です。安珍を追う清姫は、日高川にたどりつきます。
しかし先に渡った安珍の頼みを聞いた渡し舟の船頭はどうしても清姫を乗せてくれません。それではと姫は大蛇に身を変え、日高川を渡り切るという場面です。
 普通の歌舞伎と異なるのは、清姫に扮する玉三郎が文楽の人形になって演じることです。
人形遣いには菊五郎が配されます。
玉三郎の清姫はまさに人形そのものになり切って演じます。
浄瑠璃に合わせて動かす手、首、頭はまさに人形そのものです。
ややぎこちなく動く手、身を震わせて船に乗せてと懇願する仕草、もはやこれまでと元の大蛇に身を変え川中に飛び込む姿は人形そのものであり、歌舞伎役者が演じているとはとても思えないものでした。
川を渡る様も波の間にまた顔を出し、消え、しっぽを出し、また姿を消し、顔を出すというように、まるで蛇が目の前の川を渡っているように見える素晴らしいものでした。
 同時に演じられた鷺姫も、冬の夕暮れ、雪の草原に舞い降りた鷺の精が降りしきる雪の中で、歓び、踊り狂うというもので、何とも美しく、玉三郎の五変化も見事でした。

1月 8, 2010 1.日々是好日 |

2009年12月 8日 (火)

染野夫妻コレクション〈12月〉

                  人 間 国 宝

荒川豊蔵(1894-1985)岐阜県多治見市
2009121
     -黄瀬戸香合-                         -志野茶碗-

十一代 三輪休雪(壽雪)(1910- )山口県萩市
2009122_4
    -鬼萩茶碗-        -白萩茶碗-

 法学者の日本大学名誉教授の染野義信と横浜商科大学名誉教授の染野啓子夫妻は現代陶芸のコレクターとして有名です。
生前収集された美術品284点が東京国立近代美術館と山口県立萩美術館に遺族から寄贈されました。
このコレクションは昭和30年代から平成10年末までに亘って収集されたものであり、昭和40年代の収集作品が過半を占めており、濱田庄司、荒川豊蔵、第十一代三輪休雪(壽雪)をはじめとする人間国宝や、それに準ずるバーナード・リーチ(大英帝国勲章)らの陶芸家たちの作品が多くあります。
数が多いのは荒川豊蔵と十一代三輪休雪(壽雪)の作品です。
荒川は文化勲章も受けています。
彼は桃山時代の釜跡で発見した陶片をもとに歴史に埋もれていた志野焼を現代に甦らせました。
展示されている十点近くの志野焼はどれも白い釉薬(うわぐすり)を厚くたっぷりかけて焼きあげてあり、薄茶にピンク色の肌をしたふくよかな色に仕上がっています。
中でも曙、朝陽、氷雪と銘された志野焼は素晴らしく、見る者の心をホットさせるような柔らかく、豊かな色をしています。
三輪休雪の作品は「休雪白」を用いた白萩手が中心ですが、粗砂を混入した大胆で荒々しい素肌の鬼萩と呼ばれる一群の作品は、白萩の地肌に黒ずみの斑点と割れ目が走った独特のもので鬼萩花冠台茶碗、命の開花と瑞龍の2つは特に目を奪われました。
一部屋には休雪の作品だけがあり、いつまでも居たい気持ちでした。
          (国立近代美術館工芸館・11月3日終了)

                                   
        

12月 8, 2009 1.日々是好日 |

2009年11月 7日 (土)

うだつ(卯建・梲)のあがる町美濃市(岐阜県)〈11月〉

       - うだつのあがる美濃市(岐阜県) -
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 美濃市は丘の上に位置するため水利が悪く、一度火災が発生すると大惨事となりました。そのため屋根の両端に防火壁を設け隣家からの類焼を防ぐ工夫をしました。
これが「うだつ」です。
防火壁の「うだつ」をあげるためにはお金がかかるため、相当の商いのある店でないと「うだつ」はあげられないので「うだつ」のたつ店(たな)を持つことは商人の夢でした。
「うだつがあがらない」という言葉はこの卯建をあげられるような成功ができなかったというところから来ています。
美濃町は関ヶ原合戦の功によりこの地を得た金森長近により造られ、現在の町割りは、慶長11年(1606)頃に出来ました。
古い町家が19棟並び、ほとんどが現在も使用されています。
これだけの町家が1ヶ所の狭い地域に固まって存在するのは、今まで訪れたどの町にもなく、それだけでも見応えのある町です。
その中でも小阪家は国の重要文化財に指定されていますし、江戸時代中期に建てられた旧今井家住宅はまさに豪商の家というにふさわしく豪華な造りになっています。
ここの庭にはカメの穴から落ちるしずくがカメの中で反響して澄んだ音を響かせる水琴窟という日本庭園の最高技術の一つといわれる別名水洞水門があります。
水鉢から手しゃくで水をすくい、落とすと琴の様に澄んだ音がしました。
日本の音風景100選に選ばれています。
徳島県の脇町もうだつの町として有名ですが、美濃市の方が、はるかに規模が大きく立派です。
美濃和紙も有名で、あかり館には素敵な照明器具が並んでいます。 
                 名古屋から高速バスで90分

11月 7, 2009 1.日々是好日 |

2009年10月 8日 (木)

栗田美術館(栃木県足利市)〈10月〉

       - 栗田美術館(栃木県足利市) -
Photo_3 
 栗田美術館は1万点の伊万里、鍋島だけを集めた美術館です。
伊万里は日本で最初に作られた磁器です。
朝鮮出兵で鍋島直茂が連れ帰った陶工によって鍋島藩の有田で作られたものですが、輸出の積み出し港が伊万里であったことから、伊万里と呼ばれるようになりました。
オランダ東印度会社によって西欧に輸出され、日本だけでなくヨーロッパ、アジアの人達にも愛されました。
特に豪華絢爛たる赤絵はヨーロッパの宮殿を飾るにふさわしいと珍重されました。
当時輸出されたものは300万個を越えたと考えられております。
美術館は三万坪の中に六つの建物を配しており、どの建物も堂々と立派です。
本館と歴史館に展示されているものは皆素晴らしいもので、特にヨーロッパに輸出された大壷はド肝を抜かれる程の大きさでした。
輸出物よりも、日本の町人向けに作られた作品の中に繊細な色づかいと紋様のものが多く、その意匠や色合いは現代にも十分に通じるものです。
              JR両毛線富田駅より徒歩10分

創立者・栗田 英男(くりた ひでお)1912年~1996年 中央大学法学部中退。
栃木県の肥料商 東京毎夕新聞社元社長 元衆議院議員。
栗田の拠出した金に汚職疑惑があり、1948年、不当財産取引調査特別委員会で証人喚問された。
1947年、1952年、1953年の総選挙に当選。
1949年、1955年、1958年総選挙は落選。
栗田政治経済研究所を設立。
企業の検査役などをつとめる傍ら、伊万里・鍋島を収集。
1975年、栗田美術館を創設。
企業防衛白書は栗田を名指しで「総会屋」と記述。

10月 8, 2009 1.日々是好日 |

2009年9月 7日 (月)

東京ドーム〈9月〉

 巨人VSヤクルト戦を東京ドームで見てきました。
東京ドームは今回で2回目ですが野球の観戦は初めてです。
野球観戦は、今から40年程前、都市対抗野球の応援に狩り出されて2度程見に行ったことと、もっと前、子供の頃父に連れ出されてプロ野球の観戦をした記憶がありますが、格別野球が好きでもなかったため行く機会がありませんでした。

 ドーム球場で見る野球はテレビで見る野球とは、大分違っていました。
テレビで見ると、ピッチャーの細かな仕草や野手の動き、球の行方などが良くわかるのですが、球場で見ると、打者の打った球がどこをどう飛んでいるのかが慣れていないためよくわかりません。
野手の動きについていけないのです。
もう一つは、応援の声とラッパ、太鼓の音です。
球場を圧する程の音量で絶え間なく、自チームを応援し続けています。
投手が投げる時も、打者が打つ時も片時も鳴り止みません。
これでは手に汗握る緊迫したゲームの雰囲気など、とても味わうことなどできないだろうと思いました。
それにしても、3時間に亘って、あれだけの応援を続けられる熱意と気力と体力には脱帽しました。

9月 7, 2009 1.日々是好日 |

2009年8月 8日 (土)

牡丹亭〈8月〉

Photo_3   五代目坂東玉三郎は、小児麻痺後遺症のリハビリに舞踊を習い始め、稽古に通った縁から、四代目玉三郎(十四代目守田勘彌)の養子となって権門(けんもん・官位高く権勢のある家柄)の大名跡(だいみょうせき)を継ぎました。
身長173cm(1950年4月25日生、生家は料亭)

 シアター歌舞伎、玉三郎の「牡丹亭」を見てきました。
日本の歌舞伎より長い600年の伝統を持つ中国の昆劇の代表的名作です。
南安大守の令嬢、杜麗娘(とれいじょう)は春のうたたねの夢の中で出合った柳夢梅(りゅうむばい)という若者に恋をし、彼に恋こがれて死んでしまう…という筋書きです。
演目は全て蘇州語で演じられるため、玉三郎は二年間、DVDを見たり、カセットテープを持ち歩いたりしながら寝る間も惜しんで練習しました。
 杜麗娘役は、文化大革命で女形が否定され、最近は全て女性が演じており、もし玉三郎が成功すれば、また女形への道が開かれるという意味でも興味を集める公演でした。
 玉三郎の演じる杜麗娘は、他のどんな出演者よりも女らしく他の女優が皆女ではないように見える程の出来でした。
足の運び、腰の動き、腕の振り方、手のひらの動き、指の細やかな表現は、女を越える女を表現していました。
恋にこがれて体が衰弱し死ぬ直前の場面の神々しいまでの美しさは、そのあとこの世に蘇って恥じらいを含んだ姿で、生き生きと舞う美しさとは好対照をなしていました。
 玉三郎の演技は中国の観客を魅了し、「アジアの至宝」とまで称賛されました。
歌舞伎で女形を極めた玉三郎の努力に頭が下がる思いでした。
三日間の舞台は無料出演でした。

8月 8, 2009 1.日々是好日 |

2009年7月 8日 (水)

伊勢神宮(三重県伊勢市)〈7月〉

                三重県伊勢市
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       -おかげ横丁-                        -赤福本店-
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    -伊勢神宮 外宮-             -伊勢神宮 内宮-

 伊勢神宮に行ってきました。
伊勢神宮は天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭るお宮です。
天照大神は高天原(たかまがはら)に降りたち、各地を転々とされたのち、この五十鈴川のほとりに落着かれたといわれており、伊勢神宮は、2000年を超えて古代のたたずまいを今に伝えています。
外宮(げぐう)と内宮(ないぐう)に分かれており、外宮から歩みを進め内宮に回りましたが、内宮の方が神域も広く建物も多く格式も高く感じられました。
道も樹木もよく手入れされていました。
域内の杉も楠も皆年輪を感じさせる大木で、これだけの太さの木を一ヶ所で見たことは初めてでした。
内宮も外宮も正宮(しょうぐう)は近くに寄れないため柵の外からしか見ることができませんでしたが遠目にも厳(いかめ)しく感じられる造りでした。
内宮も外宮も正宮の横には式年遷宮(20年に一度お宮を立て替え御装束・御神宝をも新調)の為の土地が用意され平成25年の遷宮を待っていました。
帰りにはおはらい町通り(旧参宮街道)とその一角のおかげ横丁に寄りました。
130億円をかけて整備したというだけあって、建物は皆立派に修復され昔を越える?繁盛をしていました。
中程にある赤福本店で出来たての赤福を頂きましたが、餅も餡も柔らかく、お土産で食べる赤福より一段と美味でした。
これは何だと思わせられた真黒い汁の伊勢うどん、鰹の醤油漬けを酢飯に乗せたてこね寿しも有名です。
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    -伊勢うどん-       -てこね寿し-  -伊勢せきやのあわびの有名-

7月 8, 2009 1.日々是好日 |

2009年6月 8日 (月)

水元公園の菖蒲(東京都葛飾区)〈6月〉

      - 水元公園(東京都葛飾区)の菖蒲 -
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 水元公園は、常磐線金町駅からバスで10分位のところにあります。
荒川を挟んで東京側が水元公園、埼玉側がみさと公園になっています。
20万株の菖蒲があるというので行ってみました。
堀切菖蒲園が6000本、東村山の北山公園が10万本ですから、東京一ということになります。
訪れた日は電話で見頃を確認して行ったので、菖蒲は満開でした。
白、紫、赤紫、白と紫の絞りと大体四色の菖蒲が今を盛りと咲き誇っていました。
 菖蒲の池は10コ位に分けてあるため、一つ一つの花畑はそれ程の大きさではありませんが全体を合わせるとかなりの大きさになるのではないかと思われます。
一番奥の4つの池は互いに接近しているので真ん中に立つとまるで菖蒲の花畑の中に迷い込んだ様な感じになります。
都立公園のため手入れは行き届いており、咲き終わってしおれた花は、カゴを持った職員が一つ一つ摘んで回っています。
 咲いている花は皆生き生きとして、綺麗でした。
カメラを抱えた写真マニアが沢山いましたが、全体としてマナーが悪く、ロープの中に平気で入っていました。
 帰りは釣公望が並んで釣っている側を歩いて帰りましたが、誰のビクを覗いても獲物はありませんでした。
 訪れたのは昨年の6月11日のことです。

6月 8, 2009 1.日々是好日 |

2009年5月 9日 (土)

埼玉県幸手市・権現堂の桜〈5月〉

               - 権現堂(ごんげんどう)の桜 -
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 東武鉄道の東武動物公園の2つ先にある幸手の権現堂の桜を見てきました。
権現堂桜堤は、利根川の支流の権現堂川の堤防として江戸時代に造られました。
桜が初めて植えられたのは大正時代でしたが、戦時中伐採されたため、1949年(昭和24)から新たに植えられたソメイヨシノが現在の桜の中心になっています。
桜は堤の土手の両サイドと土手下に三本並んで1kmにわたって植えられているので、土手全体を桜の花が覆うように咲いています。
 ここの特徴は土手の片側に菜の花の畑が広がっていることです。
菜の花の畑から土手を見ると菜の花畑に桜がおおいかぶさるように見え、土手の桜並木から見下ろすと、桜の枝の間に黄色い菜の花が咲き乱れているのが見えます。
桜の薄ピンクと菜の花の黄色のコントラストが何とも素晴らしい景観をつくり出しています。
 2年前に一度来たことがありますが、その日はあいにくの雨で寒く、タクシーで回りましたが楽しむことはできませんでした。
今回は快晴で暖かく桜も丁度満開で、桜を満喫できました。
帰りはタクシーが拾えず駅まで30分歩きました。

5月 9, 2009 1.日々是好日 |

2009年4月 7日 (火)

チェンジリング〈4月〉

                    映画・チェンジリング
200904
 時は1928年、ベーブルースが60本のホームランを打った年、ロサンゼルスで一人の子供が行方不明になります。
5ヶ月後警察は不明になった子供を捜し出し、母親の許に連れて来ます。
母親は一目見てわが子ではないと叫びますが、子供はお母さんと抱きつきます。
わが子ではないことを証拠だてて発表しようとした時、母親は警察の業務を妨害する精神病患者として、精神病棟に送り込まれます。
精神病院の医者は警察のいうとおりに、彼女を思うままに精神病患者に仕立てていきます。
しかし、事件は牧師の努力と思いがけない別の事件から解決に向います。
真相は、汚職とスキャンダルのために市民の評判を落としていたロス市警が評判をとり戻すために、たまたま保護した子供を替え玉に仕立て上げたものだったのです。
これは実話に基づく映画です。
 この映画を見て恐ろしいと思ったのは、警察が犯人をデッチあげることはいとも簡単だし、病院と組めば誰でも精神病患者にできることです。
日本も戦前の治安維持法の世界はそうであったろうし、ソ連、中国、北朝鮮、それに多くの独裁国家では今でもそうしたことが行われていることでしょう。
警察国家にすることの怖さを感じさせる映画です。

4月 7, 2009 1.日々是好日 |

2009年3月 9日 (月)

秀吉の正室・北政所「ねね」の生地足守(あしもり)〈3月〉

                    岡山県足守(あしもり)
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  侍屋敷・御成門                     近水園          緒方洪庵
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     木下利玄生家          足守町並み         藤田千年治邸中庭

 足守は岡山から吉備線で総社に行く途中にあります。
秀吉の備中高松城攻めは、足守の中を流れる足守川の水を引いて行われました。
足守川の今は、ホタルの里と呼ばれる程の清流が流れています。
織田信長の家臣であった杉原氏は、妹の「ねね」が秀吉の妻になったため、木下姓を名乗ることになり、以後明治維新まで13代にわたって足守の藩主として足守陣屋町を育てます。
14代の木下利玄はしらかば派の歌人として有名です。
足守の町は家老屋敷と醤油醸造業藤田家を核に、約500mに亘って街道沿いに旧いたたずまいの町家が並んでいます。
家は良く手入れがされており、どの家も現在もそのまま人が住んで使っています。
他の伝統的建物保存地区と異なり、商売色が全くないのが特色で、旧い町並みがそのままひっそりと息づいています。
足守文庫には、ねねが使ったとされるうるしの塗りの道中風呂と足洗いが保存されています。
町はずれの近水園は鶴亀の島を配した池山庭園です。
緒方洪庵の生誕地でもあります。
 時間があったので、324社の神を合祀した総社宮に参り、神主に頼んで珍しい絵馬を見せてもらいました。
帰り道には幼い雪舟が柱に縛りつけられて、涙で鼠(ねずみ)を描いたという禅寺宝福寺に寄ってきました。

3月 9, 2009 1.日々是好日 |

2009年2月 8日 (日)

(越後)十日町の雪まつり〈2月〉

               (越後)十日町雪まつり
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 札幌の雪まつりは今年で59回を迎えますが、これより1年早く始まった雪まつりが、今年60回目を迎える十日町の雪まつりです。
新潟県の十日町は日本で最も雪の多い地域で、有名な「魚沼産コシヒカリ」はこの地域でとれます。
この雪まつりに去年行きました。
朝から大雪で、雪の見物もできました。
夜のショーは、10日かけて造ったという平安京の大内裏(だいだいり)をモチーフにデザインされた雪像ステージで、郷土の踊りや風習が披露されました。
中でも「むこ投げ」は、十日町の娘を嫁に迎えた男を5mもの台上から雪の中にほうり投げるもので、面白い風習だと思いました。
激しい雪の中、鳥羽一郎と坂本冬美が2曲ずつ歌ってショーを盛り上げていました。
2日目は雪の作品を見て回りました。
各村々が、各々延べ100人以上の人力を投入して、思い思いの雪像を作り、それを採点する形式になっていました。
とても力作ぞろいでしたが、作品は町中に点在しているので豪華さに欠けるきらいはありました。
豪雪地帯の降りしきる雪のすごさは、僅か1時間程で15㎝以上の積雪になり、言葉を失う程でした。
屋根には1m程積もっていましたが、1㎡当り1mの積雪で300kgとなるそうで、1㎡の面積にピアノ1台分が乗っていることになります。                   
                   今年は2月20日~22日

2月 8, 2009 1.日々是好日 |

2009年1月 8日 (木)

GOLD展〈1月〉

               - ゴールド展 -
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                                    ティファニー     エミー賞 

 六本木ヒルズは住民であったホリエモンのライブドアや折口氏のグッドウィルなど世間を騒がせてきた事件の影響か最近はすっかり昔の輝きを失ってしまいました。
輝く昔を取り戻す積もりかGOLD展を開催しました。
 金はインカで「太陽の汗」アステカでは「神の排泄物」と呼ばれ、元素記号で金をあらわすAnはラテン語のaurumの略語であり「輝く夜明け」という意味です。
 世界各地から集められた紀元前から現在に至るまでの金の装飾品や金貨なども展示されています。
装飾品ではティファニーやカルティエなどの作品が勝れていますが、バングラディシュの金の首飾りは豪華なものでした。
最大のみものは30kgの世界最大の金の延べ棒です。
1857年の刻印があり、当時の金で17,433.57$の表示があります。
1g3000円と仮定して現在の価値にすれば約9000万円です。
150年で50倍程値上がりしたことになります。
不景気の風が強い新年にあって、「GOLD」の光にあたって「輝く夜明け」を呼び込むのも一興ではないでしょうか。
        1月25日まで(六本木ヒルズ)森アーツギャラリー
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1月 8, 2009 1.日々是好日 |

2008年12月 7日 (日)

フェルメール展〈12月〉

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 フェルメールは17世紀に活躍した、レンブラントと並びオランダ美術を代表する画家です。
彼の描く「真珠の首飾りの女」を初めとする風俗画は、静かで写実的であり、レンブラントと同じように光と色彩を巧みに使い重量感のあるものです。
絵に使われる鮮やかな青は「フェルメールブルー」とも呼ばれ、当時、金よりも貴重といわれた「ラピスラズリ」という鉱石を原材料にしており、通常の絵の具の100倍の値段がしたといわれています。
現存する彼の作品は37点しかなく、世界中に散らばる彼の作品を追いかけて旅するフェルメールファンもおり、吉永小百合もその一人です。
今回は37点中7点が展示されて、10年以上前に見た6点をしのぐ貴重なフェルメール展になっていて、今後これ以上の出展が見込める展示会はないのではないかと思います。
今回は、作品が一部屋にまとめられて、彼の絵を十分に楽しめます。
各々の絵は重要部分が拡大されて説明されて、分かり易くなっています。
拡大部分を見ると一瞥(いちべつ)しただけではわからない服装や顔つき、目配りなどに細かな配慮がされていることが読み取れます。
   12月14日まで(上野)東京都美術館(金、土20時まで)

12月 7, 2008 1.日々是好日 |

2008年11月 8日 (土)

谷津バラ園〈11月〉

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                  -谷津バラ園の薔薇-

 お客様のところに行く途中、時間があったので谷津バラ園に寄ってきました。
面積12,600㎡の園内にバラ700種類、6300株が植えられており、園全体が世界中のバラの花で埋まっています。
一つ一つの花に名前がつけられており、開発された年と国名が書かれており、興味津々(しんしん)です。
マリア・カラスやドナルド・レーガンなどという名前の花もあります。
香りの庭のコーナーにあるバラに鼻を近づけると何ともいえず良い香りがします。
しかも一つ一つのバラが皆異なった香りを放っており、つい皆かぎたくなってしまいます。訪れたのが10月だったので、花の大きさは春の時よりもやや小振りでしたが、沢山の種類のバラを楽しむことができました。
ただ花の大きさ美事さという点では駒込の古河庭園のバラの方が一段と大きく、華やかで良く手入れがされていると思います。
バラの好きな方には、古河庭園の方がお勧めです。
バラ園の隣は1993年ラムサール条約に登録され保護されている八津干潟があり、そこには沢山の海鳥がのんびりと時を過ごしていました。
シギ、チドリの飛来地として全国的に有名なところです。
                 (総武線・津田沼駅よりバス)
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11月 8, 2008 1.日々是好日 |

2008年10月 8日 (水)

小江戸佐原〈10月〉

     千葉県佐原の町並み(H8年重要伝統的建造物群保存地区となる)
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 仕事の帰り、千葉県佐原(さわら)市に行ってきました。
佐原は江戸時代利根川水運の拠点として関東では最大の賑わいを見せ「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸優(まさ)り」とうたわれました。
 利根川に続く小野川の両岸に江戸後期から明治初期に建てられた建物が軒を連ねて並んでおり、川岸に植えられた柳と、どこからか聞こえてくる江戸風鈴の音がマッチして、のんびりとした景観を呈しています。
「街並み保存会」の活動のたまものか建物の保存状態もよく、表通りの改築中の建物は景観に合うように、昔風に造られています。
日本地図の作成で有名な「伊能忠敬」の邸宅跡も解放されており往時をしのぶことができます。
「伊能忠敬記念館」には忠敬の使った各種測量器や「ヨーロッパ地図の作成水準と変わらない」と評価されていた日本地図も展示されていました。
地図の一部は大正時代にも使われていたそうです。
 江戸後期に創業された東薫酒造の工場の見学も含めてほぼ3時間かかりました。
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伊能忠敬(1745-1818) 忠敬旧宅       伊能忠敬記念館   伊能忠敬の地図

10月 8, 2008 1.日々是好日 |

2008年9月 7日 (日)

小袖 江戸のオートクチュール展〈9月〉

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  - 江戸子袖展 -                                             - 淀君の子袖 -

 現在の「きもの」の祖形である「小袖」は十二単(じゅうにひとえ)など袖口が広い「広袖」の下に着る下着でした。
しかし時代が下がるにつれ次第に表着に変化し、華やかになっていきます。
江戸時代には絹や麻などの素材を使い、花や木、風景などを描いたり、和歌や物語を思い起こさせる意匠など、日本の粋を盛り込んだりしました。
また江戸後期には刺繍や箔(はく)を押し、友禅染の染色などを用いることにより、絢爛さが加わりました。
展示品は呉服系百貨店の松坂屋京都染色参考館の小袖所蔵品700点の中の100点で、全て見応えのあるものです。
現代にデザインされたといっても通用するようなモダンな模様もあるし、今作ったばかりかと思えるほどの生き生きした色彩のものもあります。
描かれている花鳥風月は皆、繊細で優美であり、要所々々に金糸や色糸で刺繍が施されており、しばし見とれてしまうものも数多くありました。
中でも桃山時代の淀君所用のものという「御所花車模様小袖」は、地を紅、黒、白に染め分け松や御所車、鳳凰などを刺繍で表わし、金の摺箔の文様が施されたすばらしいものでした。          
 サントリー美術館(六本木・東京ミッドタウン)9月21日まで
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9月 7, 2008 1.日々是好日 |

2008年8月 8日 (金)

コロー(COROT)展〈8月〉

              - コロー展 -            
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              モンテフォンテーヌの想い出                   真珠の女

 コロー(1796-1875)は、フランスを代表する風景画家です。
彼の生存中にナポレオン3世に買い上げられ、1867年のパリ万博にも7点が出品され、高い評価を受けていました。
「自然をじっくりみつめ、真にそれを表現したまえ」師ミシャロンに言われた通りコローは自然を忠実に描くことに全力を尽くしました。
ただありのままに描くだけでなく、その風景を見た瞬間の印象を画の中にどう表現するかに苦心しました。
けむる様な画面に拡がるかしいだ木の、細く伸びる枝の木の葉が風に吹かれ、野の花がピンクや白に舞うコロー独特の風景画は、そんな苦心の末の成果なのでしょう。
彼の絵は画家仲間からも高く評価され、モネ、マチス、ピカソ、シスレー、ピサロ等が彼の絵から着想を得て数々の絵を描いています。
「モナリザ」とともにルーブル美術館の宝といわれている日本初公開の「真珠の女」は、いくら眺めていても飽きることのない素晴らしい絵です。
「コロー展」は18年振りの2回目の展示会ですが、前回よりはるかに大規模で充実しており、十分に見る価値があります。
            (8月31日まで上野の国立西洋美術館にて)

8月 8, 2008 1.日々是好日 |

2008年7月 7日 (月)

八女(やめ)市福島町〈7月〉

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     -八女市の茶畑-       -八女市福島-

 仕事の帰り、お茶で有名な八女市に行ってきました。
八女市は福岡県南部から45kmのところにあります。
ここは江戸時代から明治にかけて商業が栄え、その時代の街並みを残す部分はかなり大きく、あちらこちらに古い建物群があり、往時をしのばせます。
しかし白壁と瓦屋根の家の多くはかなり荒れており、現在も使われている家が少ないことと、古い建物が分散しているために、町全体がさびれた感じで、全体の印象が弱いのが惜しまれます。
 仏壇と提灯作りが盛んで小さな街中に江戸時代から続く2軒の店を含む11軒の仏壇屋と6軒の提灯屋がありました。
三代目だという店の話では、値段が安いので日本全国から買いに来るだけでなく、日系人のいるハワイやブラジルにも数年に1度は仏壇づくりに行くとのことでした。
伝統工芸館には高さ6.5m、巾3.8m、重さ2トンの金箔で輝く日本最大の仏壇が飾ってあるのには驚かされました。
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7月 7, 2008 1.日々是好日 |

2008年6月 7日 (土)

根津神社のつつじ〈6月〉

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        -根津神社(東京・文京区)-

 文京区にある根津神社のつつじを見に行ってきました。
根津神社の境内は「根津権限」とも呼ばれ、日本武尊(ヤマトタケル)が1900年前に創祀したと伝えられています。
社殿は1705年の創建で、江戸幕府五代将軍、徳川綱吉による普請とされ、権限造(本殿、幣殿、拝殿を構造的に一体に造る)の傑作とされていて、社殿7棟が国の重要文化財にも指定されています。

 境内はつつじの名所として知られています。
神社の全面が上り斜面になっていて、50種凡そ3000株のつつじが植えられており、斜面全体が燃えるような感じになっていました。
クルメツツジ、オオヤマツツジ、ヒノデキリシマ、シロツツジなどがピンクや赤や紫や白の花をつけ、その間に黄色やうすい橙色のレンゲツツジが可憐な花をつけていました。

 平日だというのに、つつじ見物に訪れる老々男女で一杯でした。
土、日曜日にはさぞかし人々でごった返すのだろうと思われました。

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      -根津神社のつつじ(東京・文京区)-

6月 7, 2008 1.日々是好日 |

2008年5月 7日 (水)

東山魁夷(ひがしやまかいい) 生誕100年展〈5月〉

200852
       - 東山魁夷 生誕100年展 -

 国立近代美術館の東山魁夷展に行ってきました。
東山魁夷は明治41(1908)年生まれの日本画家で唐招提寺御影堂の障壁画を描いたことで有名です。
生涯弟子を持たず、孤高の画家としても知られています。
今回の展覧会は代表的な本制作101点、スケッチ・習作53点の総点数154点が出品され御影堂の障壁画の一部が特別出展されています。
本制作は大作で、東山魁夷の代表作が出品されているだけあって、皆見応えがあります。
彼の絵は、自然を描いていますが、その自然は彼の心象風景であり、自分の心の奥底に潜む思いを表現したものです。
代表作「道」は久し振りに見ましたが記憶の中にある絵に比べて、道がもっと細く長かったのが意外でした。
「冬降る」「冬華」「白い朝」などは厳しい自然と向かい合っていながら、なおそれに負けない温かい心が絵の中に込められており、素晴らしいものでした。
出品されている唐招提寺御影堂の障壁画「濤声」は海のかなたから白い波頭がザワザワと音をたてながら押し寄せ、それが目の前を通過し、海中に突き出た岩に当たりシュワシュワと崩れ散る様がまるで目の前に展開しているかの如き錯覚にとらわれる程の見事な絵でした。
イヤホンガイド(東山肉声500円)を聞きながら見ると更によく鑑賞できます。
国立近代美術館5月18日まで

5月 7, 2008 1.日々是好日 |

2008年4月 7日 (月)

宮古島〈4月〉

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-宮古馬(体長110cm~120cm-                                              -宮古島-

 宮古島に行ってきました。
宮古島は人口5万人程で1万人弱の久米島に比べてはるかに大きな島です。
宮古島はサンゴ礁が隆起して出来た島なので、島全体が真っ平らで、最高地点で100m位しかありません。
土質の関係か沖縄本島や石垣にみられるハブは、この地につれてきてもみんな死に絶えてしまうそうです。
離島なのに、水がいたるところから湧き出してくるので水の心配は全くないと言います。
 前日までの雨で心配していましたが、幸い天気は快晴でした。
車の運転ができないのでタクシーで回ることにしました。
島の西側は浜辺が多く、どこもきれいな砂浜で、コバルトの海が広がっていました。
サンゴ礁のところは色が濃くなっていて、他のところとクッキリと色が分かれていました。水に入って見ると、赤や黄色や青の熱帯魚が泳いでいるのが見えるということで、多くの人がシュノーケルをつけて遊んでいました。
エサをもって入ると魚が争って食べにくるので、泣き出す子供もいるそうです。
砂山ビーチは、細かく砂糖の様な砂で、歩くのに苦労しました。
マングローブ(海川の入り口などの淡水と海水がまじり合う場所に生えている植物)の林や10頭もいない宮古馬に砂糖きびをやると根の白いところしか食べないのが面白かったです。
タクシーは1時間当たり3000円で、ゆっくり回って4時間でまわれました。

4月 7, 2008 1.日々是好日 |

2008年3月 7日 (金)

アース〈3月〉

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 北極に始まり、順次南下しながら、それぞれの地域で生きる動物達の必死に生きる様を描いたのが、この記録映画です。
驚くべきカメラワークです。
こんな映像をどうやって撮ったのだろうと驚嘆するような場面の連続です。
 象は乾季になると水を求めて何百キロメートルも移動します。
砂嵐に会い仲間から外れそうになる親子象。
途中の水場でライオンの群れに遭遇します。
子象を守るために円陣を作りこれを防ごうとする親象の足の間から懸命に子象を狙う飢えたライオンのうなり声とせわしい息づかい。
子象をあきらめたライオンが若い象に狙いを定めて30頭が一斉に飛びつき猟をする様。水場について歓喜しながら水中を泳ぎまわる象の正面を水中から撮った場面。
ホウジロザメに追いかけられるオットセイが、追い詰められ、空中に飛び上がった瞬間、それを狙ってサメが海面高く飛び上がり、空中で一飲みする瞬間を捉えた映像。
まだまだ数えあげればいくつもあります。
どのシーンも自然と動物との共生と戦いの様を追いかけたものです。
カメラマンもカメラの位置も見えません。
どの場面もまるで目の前で展開するように迫力があります。
見ているうちに、この貴重な地球の環境は何としても守らなければという気持ちになってしまいます。
機会があれば是非ご覧になったら良い映画です。
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3月 7, 2008 1.日々是好日 |

2008年2月 7日 (木)

大分県日田市(天領日田 隈町・豆田町)〈2月〉

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          -大分県日田市豆田町-

 日経の土曜版「行ってみたい白壁の町ベストテン」で、第1位は福島県の喜多方、2位は大分県の日田という記事が出ていました。
今回博多まで行く用事がありましたので、大分県の日田に行ってきました。
日田は博多から特急「ゆふいんの森55号」で約1時間10分程のところにあります。
駅から徒歩15分位のところに豆田町がありました。
幕末の儒学者、広瀬淡窓の私塾咸宜園があります。
咸宜園は武士、町人、農民の区別なく広く門戸を開放したため、日本全国の門人が3000人を超え、19世紀中期日本最大の私塾だったといわれています。
この広瀬資料館を中心とした豆田町一帯には、昔の商家が立ち並び、そのほとんどが現在も商売を営んでおり、町全体が今も生きています。
今まで訪れた小京都といわれるところは、古い家が残ってはいても限られた一筋の道の片側とか、古い家並に並んで新しい家があったりしていましたが、ここはちがいます。
15代目を迎える味噌、醤油の醸造元の源次郎座衛門の店も中々立派なものです。
ひた押し花美術館の押し花で作った風景画も素晴らしいものです。
薫長酒造も江戸時代から今も活発に営業をしています。
町中には電柱がないところもあり景観をもり上げています。
ひな祭りの時期には代々伝わる雛人形を一般に公開するということです。

2月 7, 2008 1.日々是好日 |

2008年1月 7日 (月)

沖縄美ら海水族館〈1月〉

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               沖縄-美ら海水族館-

 定期観光バスで沖縄中部の観光に行ってきました。
万座毛や今帰仁城跡(なきじんじょう)をめぐるコースですが、一番の見所は海洋博公園の中にある美ら海(ちゅらうみ)水族館でした。
てもフニャリとへこむだけで弾力も全くありませんでした。
いろいろ見る物はありましたが、何といっても驚かされたのは黒潮の海水槽といわれるガラスの水槽です。
7500㎡入るという深さ10m、巾35m、奥行き27mの巨大な水槽の中に7.5mもある巨大なジンベイザメが3匹ゆうゆうと泳いでいます。
その中に70匹を超える巨大なエイが泳ぎ回り、更に、群れをなして泳ぐ南の海の魚群が鱗をキラキラさせて泳ぎ回っています。
こんな大きなジンベイザメを見たのは初めてですし、それが3匹なんてとても考えられません。
驚いたことには、余程エサを与えられているのでしょうか、その巨大なサメは、泳ぎ回っている魚など目もくれず、三匹が等間隔を保ったままゆっくりと槽の中を回遊しています。
その姿はゆうよう迫らざる大人の風格です。
ガラスの厚さは65㎝もあるということで世界最厚とのことでギネスにも載っているそうですが、透明度も高く、ガラスがあることを感じさせません。
しばらく水槽の前に腰を下し眺めていましたが、魚の動きを見つめているといつまでも飽きることがありませんでした。

1月 7, 2008 1.日々是好日 |