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2010年12月 8日 (水)

隅田川〈12月〉

                   - 隅田川 -
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 秋は食欲の秋、芸術の秋です。上村松園、ゴッホ、フランダースの光、隅田川、ハンブルグ浮世絵コレクションと五つの美術展を見て回りましたが、江戸東京博物館で開催されていた「隅田川」が特色ある企画でした。
隅田川は江戸の水運としても大いに活用されていましたが、それ以上に江戸の人々の生活に深く入り込んでおり、舟遊びの場としても有名でした。
また両国橋界隈や浅草などの庶民の盛り場や三囲(みめぐり)神社のような四季折々に表情を変える風光明媚な景観を数多く抱えた江戸の名所の宝庫でもありました。
そのため、江戸時代を通じて、数えきれないほどの絵に描かれてきました。
展示されている絵は広重や北斎のような名のある人だけでなく、作者不詳の作品も多く、それだけ多くの人に描かれていたことを窺がわせます。
版画だけでなく肉筆画も多く、多数の屏風も出品されていました。
屋形船での川遊び、花火見物、花見、人でごった返す両国橋など、どの絵も当時の風俗を想起させ楽しく見ることができました。
屏風に描かれている絵を見ると、当時は高い家などがなかったため隅田川から、富士山や筑波山などもよく見えていたことが分かります。
展示品は160点と数多く一品一品に解説があるため、読みとばすこともできず、2時間以上もかかり、かなり疲れてしまいました。

12月 8, 2010 1.日々是好日 |

2010年12月 7日 (火)

衰退に抗うための五訓〈12月〉

 バブル崩壊以後すでに20年経っているのに、日本経済は一向に回復しません。
企業業績も少数の例外を除いて、底這いを続けています。
黒字企業の割合は相変わらず30パーセント前後で、ここ10年程大きな変化はみられません。
多くの企業が敗れないように必死になって船を漕いでいるというところが真の姿ではないかと思います。
そんな時「ビジョリーナカンパニー③ 衰退の五段階」という本が出ました。
この本は実名をあげながら、成功した会社が衰退に向う流れを五段階に分け、その各々の段階で起こる特徴的現象をとらえ、その各々のステージでとってはならない対策を「衰退に抗うための五訓」として纏めてあり、会社経営をする方にとっては示唆にとむ多くのことが書かれています。

教訓1 自らの成功を徹底的に疑え
 成功は「智恵と努力」「幸運と偶然」が加わってもたらされるものです。
しかし成功した者は幸運と偶然という要素をついつい見落し、自分たちの力だけで勝ち抜いたと錯覚しがちです。
一生懸命頑張ってやるべきことをやってきた、我々のやってきたことは間違っていなかったと思ってしまいます。
でも大事なことは謙虚さです。
物事がトントン拍子で進んでいる時こそ、成功を疑い、成功を恐れ、成功を割り引いて考えることが大切です。
「幸運に恵まれただけだったのではないか」「たまたま良い時代、良い場所、に巡り合わせただけであって、単なる偶然だったのではないか」と成功の本当の理由を問いつづけなければなりません。
成功したのは当然であり、これからも成長を続けていくという過信を抱くようになると危ういと考えるべきです。

教訓2 残酷な現実から目をそらさず直視する
 いよいよ衰退が始まったら、現実に起こっていることを直視しなければなりません。
客離れ、利益率・在庫回転率の低下、価格支配力の喪失など多くの警戒信号が出ます。とくに注意すべき指標は粗利益率、流動比率(流動負債にたいする流動資産の比率)、負債比率(自己資本に対する負債の比率)の悪化が嵐の到来を示す微候です。
こうした微候があらわれた時、衰退する企業の経営者に共通するのは、それらの原因は他人や外部要因に問題があったと抗弁し、会社が深刻な問題にぶつかっていることを示す厳しい現実を直視しないことです。
悪い情報を無視したり、ねじ曲げて解釈したりしているうちに衰退はますます加速していきます。
一方衰退を免れる企業の経営者は出されたデータや証拠に基づき、幹部や社員と議論を重ねます。
多くの質問と疑問を提示し、深い意見を求めます。
決定が下されれば団結して、決定を実行していきます。
 

教訓3 答えはいつも社内にある
 衰退に陥ったとき、一発逆転できるような魔法の杖を探しても、そんなものはどこにもありません。
競争力の基盤になるのは、試行錯誤の中で築かれていった小さな積み重ねしかありません。
「自分たちが今まで成し遂げてきたことは何だったのか。その基盤の上にどのような新しいものを積み上げられるだろうか」を考えなければなりません。
社外に目を向けて未知の何かを探すより前に、やることは山ほどあります。
答えはいつも社内にあるのです。
しかし、会社を変えないでよいというのではありません。
顧客、商品、営業のやり方、仕事の仕方など、考えるべきものはいっぱいあります。
大切なことは「基本的な強みとして維持すべき点と変革が必要な点」とを明確に区別することです。
変えるべきものは果敢に変えていかなければなりません。

  
教訓4 一発逆転を狙うな
 衰退に陥ったとき、多くの会社で起こることは一発逆転の発想です。
関連性のない新市場への進出、検証されていない新技術の採用、派手な新製品の発売、大胆なイメージチェンジに賭けたり、救済を約束するコンサルタントを雇ったりなどの特効薬に頼ろうとします。
しかし、特効薬の多くは自ら生きようという気力と体力を持つ病人に利くのであり、体力も気力も失った者に利く薬はそうあるものではありません。
ましてや外部から救世主を迎えようなどと考えてはなりません。
衰退時に外部に経営者を求めた企業の多くは業績が悪化しています。

教訓5 決して屈服しない
 1941年ドイツがロシア攻撃に踏み切った頃、イギリスのチャーチルは、母校のハロー校を訪れて卒業式の式辞を贈りました。
集まっていた少年たちを見つめてこう語りました。
「これが教訓だ、決して屈服してはならない。決して屈服してはならない。決して、決して、決して相手の大小を問わず、強弱を問わず、決して屈服してはならない。」

皆様の会社もそれなりに困難を抱えていらっしゃることと思います。
しかし大事なことは、困難から逃げるのではなく、困難を正面から把え、困難の原因を突き止め、これを解決していくことです。
逃げていたのではいつまでたっても困難はなくなりません。
経営していく限り、生きていく限り常に困難はあらわれます。
生きていくこと、経営していくことは修業です。
江戸時代の思想家、鈴木正三(すずきしょうさん)は、「宗教、念仏にとらわれることなく職業に励むこと自体が仏教修業だ」といいました。
経営していく限り修業はつづきます。

12月 7, 2010 2.チャレンジ |

2010年12月 6日 (月)

イギリス・「鉄の男」キャメロンの超改革路線〈12月〉

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 2015年までにGDP比12.1%の財政赤字を1.2%と事実上解消するという目標を掲げた、保守党のデービット・キャメロン英首相は、就任後半年もたたないのに矢継ぎ早に財政赤字の削減策を打ち出しています。
医療と対外援助を除く各省庁のすべての予算は今後4年間で最低25パーセント削減されることとなります。
これが実行されると、国の労働人口の20パーセント以上にまで膨れ上がった公務員は60万人削減されます。
現場の警官も4万人削減されます。
閣僚の公用車と専属運転手は既に廃止されました。
公務員の賃上げは3年間凍結されました。
社会の至る所に増殖した福祉制度も見直さざるを得ません。
60才以上の市民の大半は無料でバスに乗ることができ、最大600ドル(5万円超)の冬季燃料手当をもらっています。
富裕層の親でも子供1人につき月135ドル(11,500円)の子供手当が出ます。
このような社会福祉制度の支出だけで財政支出の30パーセントを食い潰しています。
市民はカネを使いすぎ、国は世話を焼きすぎているのです。
就学前児童へのミルクの無償配布の廃止案は撤回されましたが、すでに子供手当の3年間停止は決定しています。

 収入の方は、現在17.5%の付加価値税は11年から2.5%上がり20%になります。
新しく銀行税も定められました。
企業活動を活発にするため現在28%の法人税(日本は30%)を11年から毎年1%ずつ引き下げ、14年には24%にします。

大きな政府から大きな社会へ

「鉄の女」サッチャーが本格的に国の改革に取り組み始めたのは政権2期目に入ってからで、国営企業を民営化し、労働組合をたたき潰しました。
しかしキャメロンは就任1年目から改革に取り組んでいます。
キャメロンは国家の存在が大きすぎるために、個人の責任感がむしばまれてきたと考えています。
個人が自分の人生に責任を持ち、周囲も手助けするような社会…国家の役割を社会に肩代わりさせる「大きな社会」の構築に取り掛かっているのです。
「人は責任を取る自由を与えられたら、自分で物事をやり遂げるようになって、新しい活力を得るだろう」とキャメロンは言います。

今のところ世論調査では有権者の53パーセントが政府の経済運営はうまくいくといっていると答えており、この政策を支持しています。
日本の微温的な政権とは大差を感じています。

12月 6, 2010 3.スクラップ |

2010年12月 5日 (日)

永遠の0(ゼロ)〈12月〉

永遠の0(ゼロ)

百田 尚樹 講談社文庫

 「零戦」は何故零戦というかご存知でしょうか。
零戦が正式採用になったのは、昭和15年・皇紀2600年であり、この末尾のゼロをつけて「零戦」と呼びました。
その前年の皇紀2599年採用の爆撃機は九九艦上爆撃機、その二年前に採用になった攻撃機は九七式艦上攻撃機です。
こんなことを初めてこの本で知りました。

 読み終えるまでに何度涙を流したことか。
途中で涙を拭かないと涙で目が曇ってしまい先が読めないのです。
こんな本に出合ったのは初めてです。
劇的な描写をしているわけでもなく、人の感情に訴えるような文章でもありません。
ただ読んでいるだけで涙が出てくるのです。
(読み終わったあとにはすがすがしい、しかし何ともやるせない気持ちになりました。)
何回も元に返って読み直しましたが、やはり、涙が出てくるのです。
そして最初に読んだ時と同じような感情に襲われてしまうのです。

 零戦のパイロットで、特攻で死んだという祖父がどんな人だったかを知るために祖父を知っているという人を捜し出し、彼らに祖父を語らせることにより、その人となりを明らかにしていくというストーリーです。

 祖父は宮部という招集兵上がりの零戦パイロットです。
中国戦線を戦ったのち、真珠湾攻撃に参加した歴戦のパイロットで、その技量は当時を沸かせた零戦の撃墜王に勝るとも劣らないものでした。
しかし彼は臆病者というレッテルを貼られていました。
それは「妻と子のために生きて帰る」ということを公言していたからです。
宮部は親しくなった人には必ず「生きる希望があったら絶対に生き延びよ、死ぬなんて考えるな」と言い聞かせていました。
彼の忠告のお蔭で死ななかった人が皆、今自分が生きているのは宮部さんのお蔭だと言います。
特攻勧誘にも、たった一人志願せず皆の冷笑をうけますが、自分の意思をつらぬきます。
 そんな宮部が終戦の3日前、特攻に志願して戦死します。
何故特攻に志願したのかわからないと誰もが言います。
最後は思わぬ展開で小説らしく終わります。
皆様にも是非読んでいただきたい小説です。

12月 5, 2010 4.今月の本 |

2010年12月 4日 (土)

12月のアラカルト

師走(しわす)

この月は僧が東西に「馳せはしる」から師走月(しわす)

(12月の出来事)

2日(1956・昭和31)カストロらキューバ上陸
5日(1933・昭和8) 世紀の悪法、アメリカ禁酒法ついに廃止
     1920年、全米土で断行されてきた禁酒法は、メチール酒の
     横行による死者の続出や、闇酒をめぐるギャングの台頭を
     招いただけの結果に終りました。 
7日(1972・昭和47)アポロ計画終了
     1961年からスタートしたアメリカのアポロ計画は、1972年の
     この日打ち上げられたアポロ17号を最後に、幕を閉じること
     になります。
     この間、6つの宇宙船により計12人の宇宙飛行士が月面に
     立ち、持ち帰った月の石の合計は、約400kgです。
10日(1980・昭和55)ジョン・レノン、熱狂的なファンに射殺される。
     ビートルズの中心メンバーだったジョン・レノンはニューヨー
     クの自宅に帰るため車を降りたところ、近寄ってきた男に
     ピストルで撃たれ死亡。
     犯人は40歳でレノンの熱狂的なファン。
11日(1989・昭和64)黒澤明監督にアカデミー特別賞
22日(1891・明治24)京橋で初の私立探偵社の広告
26日(1934・昭和9) 日本初のプロ野球団「大日本東京野球倶楽部」
            結成、渡米時に東京巨人軍になる

( 豆知識 )

(問)源頼朝や平清盛、藤原鎌足ら昔の人の名には、どうして名字の
   次に「の」という読みが入るのでしょうか

(答)古代の氏族には、その地位や政治的序列を示す姓(かばね)が
   与えられました。
   朝臣、連、宿彌などで、氏名(名字)の次ぎに姓を付けて呼ぶ
   際間に「の」を入れる習慣がありました。
   平安時代になると姓は「朝臣」に一本化され、公式の署名の時
   など以外は、次第に使われなくなります。
   姓が省略された結果、名字の後に個人の名をつけるようになり
   ました。
   例えば公式には「源朝臣頼朝」が源頼朝(もなもとのよりとも)に
   なります。             (朧谷久 同志社女子大教授)

12月 4, 2010 5.今月のアラカルト |

2010年12月 3日 (金)

現場からの報告〈12月〉

百年企業を目指して…その4

 前回まで、不動産部分を別会社にして、百年企業にするには、親会社の100%子会社にする分社型分割よりも、無税で元の株主に株を持たせる分割型分割の方が適切であることと、分割型分割にする方法が分からず苦労したことを述べました。
 今回はその後の、社長所有の土地建物を不動産会社への売却とその売却代金を少人数私募債に変える経緯を述べます。

1.個人所有の土地建物を不動産会社に売却する
 予定より1ヶ月遅れて、不動産会社が設立されました。
この会社に社長が保有する不動産を売却することにしました。
売却価格はできるだけ個人の譲渡所得が出ないようにしなければなりません。
土地、建物の価格振り分けは、契約書に金額が振り分けられればその価格になりますが、振り分けさせていなければ、固定資産税評価証明の金額比になります。
建物の価格がいくらになるかは、その後の減価償却費の金額に影響しますし、仮払消費税の金額が変わることにより、初年度の消費税の還付額に影響します。
しかし売却手続が私共の知らないうちに進められていて、気付いた時は登記まで完了していたのであわてましたが、何とか辻褄を合わせ、第一期は家賃収入が少なかったので、消費税も10万円以上還付されました。

2.売却代金を少人数私募債に変え20%の分離課税で済む利子を受取る。
 社長から不動産会社への土地、建物の売却代金は5000万円を超える程でしたが、会社にはこれを買取る資金がありません。
とりあえず未払金にし、この未払金を少人数私募債に変えることにしました。
少人数私募債の詳細については次回に詳しく述べることにしますが、中小企業が発行する社債と考えてください。
取締役会の決議だけで発行できますし、管理コストもかからず、何よりも、社債の利息には所得税15%、地方税5%の合計20%しか税金がかからず、しかもそれが分離課税というのが魅力です。
給与所得が1200万円をこえると増えた給与には所得税33%、地方税10%の計43%課税されますが、社債の利息には20%が課税されるだけですので税金は半分以下で済みます。
社債の利息は5%前後に設定できますので銀行金利などに比べてはるかに有利です。

金利は当然に会社の損金に算入できます。
未払金を直接社債と振替えると、社債の金額は払い込まれてないなどといわれると困るので、社長は事業会社から社債に相当する金額を借入れ、その金額を社債購入代金として、会社に振り込んでもらいます。
会社はこのお金を社長からの不動産の購入未払金の支払に充てます。
社長はこの受取った金を事業会社からの返済に充当しました。
お金をぐるりと一回まわしたことで形をととのえました。

12月 3, 2010 7.現場からの報告 |

2010年12月 2日 (木)

編集後記〈12月〉

日本「領土危機」
11月17日のニューズウィーク誌の表紙に、デカデカと踊った文字です。
日本国内ではテープ流出事件として捉えられていますが、世界から視れば、あくまでも領土問題なのです。
この記事の中でのポイントは次の3つです。
(1) 日本政府の発信力が不足している。
1965年に韓国と国交正常化をした際、日本が経済的支援という形で賠償を済ませたことや、日中国交正常化で中国政府が「両国国民の友好のため日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」と宣言したことは、中韓ではほとんど認知されていません。
日本政府は、事あるごとにそのことを表明しなければならない。
(ODAで中国に多額の援助をしていますが、このことも中国人には知らされていません)
(2) 主権を守るという意識が、他国にくらべて希薄である。
社会の関心が雇用や社会保障に移ってしまっていて、世界における日本国の将来を考える力がなくなってきている。
(3) 「尖閣諸島を乗っ取っても日本は抵抗しない」と、中国がそう判断する日がいずれ来るかもしれない。
正に正鵠(せいこく・要点)をえた指摘です。
特に2と3は、今まさにある危機です。
フォークランド諸島に対するアルゼンチンの行動は、まさかと思ったイギリスの反撃で失敗しましたが、ゴアに対するインドの行動が、ポルトガルの無抵抗によって成功したことは記憶に残るところであり、今の日本にとって教訓とすべきことだと思います。
マスコミも主権や領土に関する認識が薄いのは困ったものです。

●イギリスのキャメロン首相の矢継ぎ早の財政赤字対策をスクラップに掲載しました。
日本は自己責任を問う前に金を与え、自助努力を求める前に救済をするということを続けてきた結果、限りなく財政が拡大し、借金が積み上がってしまいました。
社会保障、福祉の予算は聖域となって今なお膨張を続けています。
社会も、「かわいそう」なものは救うのが当然という風潮です。
死んだ祖父の年金を取り続けていた孫の事件を報道した番組で、女子アナが、「でもみんな生活が苦しいんですよね」とだまし取るのもやむなしという類の発言をしていました。
市街へ出没し、賭殺される熊についても「可哀そうだ何とかならないのか」という声が多いそうです。
事の善悪を判断しないで感情に流されると言うのは日本人の欠点ですが、この傾向はますます助長されていきそうな気配です。

12月 2, 2010 8.事務所だより |

2010年12月 1日 (水)

早水和子さんのコンサートのご案内

早水和子  コンサート  (ニューヨークから一時帰国)

2010年12月23日(祝・木)
開演・17時(開場16時半) 2500円(自由席)
アリストホール:港区南青山4-18-16フォレストヒルズウェストB2F 

表参道駅A4出口から根津美術館方面。青南小角左に曲がり、次の角を右、歩5分 
                           03-5775-3838

ソナタ、Hob.XVI.52、変ホ長調 ハイドン。 
ソナタト短調、(英雄)、Op.57 エドワード マックダーウェル
ローマン スケッチより 白い孔雀、アクアパトラの噴水 
チャールス グリフェス バラード エイミー ビーチ    
3つのプレリュード ジョージ ガーシュイン

ニューヨーク在住。スタインウェイ・アーティスト。
ジュリアード音楽院でマーティン・キャニン氏に師事する。ニューヨー ク・アーティスト・インターナショナルの主催によりカーネギー・ワイルホールで7年連続リサイタルを行うなど、長年にわたり、古典派から現代曲にいたるまで幅広い演奏をアメリカで繰り広げている。音楽評論家からは『作曲家の“ドリーム ピアニスト”』と呼ばれ、早水和子のために書かれた曲も多い。

主な経歴  93年にマイヤー・カッファーマンのピアノ協奏曲をモスクワ・シンフォニーと録音、他に も数多くのCDを録音。
1回ヤルタ・インターナショナル・フェスティヴァルに招かれ、 クリミア国立シンフォニアと共演、続いて東京交響楽団、ニューヨーク、ニュージャージーでもオーケストラと共演し、 アメリカ各地でリサイタルを行う。

室内楽分野での演奏活動も豊富で、CD録音ニューヨーク・フィル首席クラリネット奏者として60年間活躍後に引退し、 ギネス世界記録を築いたスタンリー・ドラッカー氏とは、日本、アメリカ両国で演奏。
自身がディレクターを務める『ファブリ・チェンバー・コンサーツ』は11年目を迎え、 ジュリアード音楽院教授、ニューヨーク・フィル奏者などと共演したほか、木・金管楽器、声楽も含め種々のアンサンブルを行っている

日本でもカザルスホールでの連続リサイタルのほか、室内楽コンサートを多数開催。
97年には、“音楽の友”の『批評家によるベストテン』に選出される。
社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ(PTNA)主催のコンクールなど審査員経験も多数

申込・連絡先・中山牧子
 TEL 03-3261-3213  携帯 090-2154-0469
 FAX03-3261-7251( 住所・氏名・TEL・FAX・枚数 )
 振込先・三菱東京UFJ銀行 麹町中央支店 普通 1450098
 口座名・早水和子後援会 代表 羽田綏子

12月 1, 2010 8.事務所だより |