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2008年5月 4日 (日)

ロードス島攻防記〈5月〉

ロードス島攻防記

塩野 七生  新潮文庫

 ベネチアの興亡を描いた「海の都の物語」は、国家は興隆した原因によって亡ぶという教訓を私たちに与えました。
日本も教訓の通り「和」の精神によって復興し「和」の精神によってバブル崩壊への取り組みが遅れ、大きなロスを被りました。

 「ロードス島攻防記」は「コンスタンチノープルの陥落」「レパントの海戦」という三部作の中の一つです。
この連作はルネッサンスを中心とするキリスト教ヨーロッパ世界を中心に視点を据えた旧来の作品に対し、西欧に対峙する異教徒であるイスラム文明との衝突を描いたものです。
 ロードス島にたてこもってトルコと戦うのは聖ヨハネ騎士団です。
聖ヨハネ騎士団は、テンプル騎士団やチュートン騎士団と同じく十字軍の時代に創設されたイスラムと戦う騎士団です。
騎士団に属する騎士たちは貴族の血を引くものでなければならず、騎士であると同時に一生をキリストに捧げる修道士であることも要求されました。
メンバーはイギリス、フランス、イタリア、スペインなどヨーロッパ各地から集まっており、民族をこえて信仰によって結ばれた貴族の団体であり、イスラムへの海賊行為を含めた戦争と医療事業を業としていました。

 1453年のビサンチン帝国の滅亡と1517年のトルコによる、シリア、エジプトの征服により、東地中海はトルコの内海になると、ロードス島は「イスラムの咽にひっかかった骨」としてトルコにとっては何とも目障りな存在になります。
 そこでトルコは1480年10万の兵でロードス島を攻めますが騎士団は3ヶ月に亘る戦いを闘い抜き、トルコ軍を襲った流行病により島を守り抜きます。

 しかし再び1522年夏、トルコの王スレイマンは自ら300隻の船と10万の兵を率いて、ロードス島を攻めます。
守る兵力は騎士600人足らず、傭兵1500人余り、参戦可能な島民3000人、合計5000人で20倍の敵に向うのです。
 そして7月28日、トルコ全軍はスルタンスレイマン一世の上陸で戦闘の火蓋をきるのです。
それから5ヶ月間の両軍の死闘ののち、トルコは五万の兵を失いながらもロードス島を制圧します。

最後に生き残った聖ヨハネ騎士団は、団長以下18人でした。
ロードス島を追われて8年後、騎士団はマルタ島に移住し、再びここを要塞化し、トルコと戦う基地とします。

5月 4, 2008 4.今月の本 |